1900年(明治33年)製造開始し、
惜しまれながら2000年(平成12年)に製造中止となった『養老サイダー』
多くの方の復活を願う声に応えるため、
また養老町の活気を取り戻すため、
2017年養老改元1300年祭の最中、クラウドファンディングなど
多くの方の支援を受け、とうとう復刻しました。
栓を抜けば、
シュワーっという音と懐かしい香り。
ほのかな甘みとスッキリとした喉ごしの正統派。
日本最古のサイダー
かつて岐阜県養老郡養老町で1900年から
製造していた“日本最初のサイダー”
100年に渡る歴史。
そして製造中止。History
養老サイダーの生みの親である日比野寅吉は、神戸でオランダ人から当時噂になっていた”異国の香りがする飲み物”の製造法を学びました。その後、商品開発を重ね、時代に先駆けて養老サイダーを誕生させました。
養老サイダーは、明治から大正にかけて、全国特産品博覧会や東洋輸出品共進会など多くの博覧会に出品され、金賞など数々の賞に輝きました。また、戦時中には軍用として戦地へ次々と送られていたそうです。そのようなことから、「東の三ツ矢、西の養老」と言われるほど、人気を博していました。
その後も地域の人々をはじめ、養老公園を訪れるたくさんの観光客に養老の名物として、長い間愛されてきました。
しかし、工場の老朽化・従業員の高齢化等の理由から、
惜しまれつつ2000年に製造終了となり、幻のサイダーとなってしまいます。
復刻プロジェクトと発見されたレシピ。History
時は2017年、養老改元1300年祭を迎えました。
中日本高速道路(株)がインターネットで運営資金を集める“クラウドファンディング”を使って養老サイダーを復刻させるアイデアを町に提案。
養老町観光協会の有志により「養老サイダー復刻プロジェクト」を立ち上げました。
その時レシピはまだ幻でした。
しかし、そのような中2017年3月、突如として養老サイダー工場跡地でまるでプロジェクトを後押しするかのように秘伝のメモが見つかったのです。
養老サイダー復刻プロジェクトはそのレシピを譲り受け、創業者一族と岐阜県立大垣養老高等学校の協力の下、開発を行うこととなりました。
2017年9月に初回限定の5000本を製造。その後、多くの方の製造継続の声に応え、現在では養老町内で限定販売しています。
こだわりの素材と味
恵み豊かな養老山系で磨かれた、
菊水霊泉の岩清水と
こだわりの素材でできた
養老町特産のサイダーです。
日本百名水に選ばれた 菊水霊泉使用。
サイダー作りにおいて一番大切なのは水です。養老サイダーは養老山地の岩清水である菊水霊泉を使用。また、自然豊かな山で磨かれたこの水は日本百名水にも選ばれています。ミネラルを豊富に含み限りなく硬水に近い軟水で、
微量な炭酸も含まれている最高の水です。
『醴泉は、美泉なり。以て老を養うべし』
続日本紀にも記される由緒ある霊泉なのです。
ミネラルを豊富に含み限りなく硬水に近い軟水で、微量な炭酸も含まれている最高の水です。
『醴泉は、美泉なり。以て老を養うべし』
続日本紀にも記される由緒ある霊泉なのです。
さっぱりとした甘みと 懐かしい味。
さっぱりとした甘みの秘訣は純度99.9%のグラニュー糖。さらに、熟練の調香師が作った秘伝のシロップを使用し、炭酸を少し多めに注入することで、ほかのサイダーにはな い、深みと懐かしさが出るのです。はじめて飲むのに懐かしい。それが養老サイダーなのです。
い、深みと懐かしさが出るのです。はじめて飲むのに懐かしい。それが養老サイダーなのです。
こだわり抜いた 発売当時のデザイン
養老サイダーのラベル、透き通った緑色のガラスボトル、開栓にひと手間かかる王冠、すべて当時のデザインにこだわりました。昔あった当たり前が、今は特別なサイダーなのです。
キンと冷えた瓶の蓋を開けるとシュワーと舞い降りる白煙。
懐かしい香り。
五感すべてでお楽しみください。
です。
キンと冷えた瓶の蓋を開けるとシュワーと舞い降りる白煙。
懐かしい香り。
五感すべてでお楽しみください。
養老町内の販売協賛店舗で
購入することができます!
養老公園内
梅林亭、美上亭、滝園、瓢遊亭、互楽、渋谷土産物店、大福亭、豊駒、吉田商店、大黒屋、清水、滝見亭、えんじゅ、養老滝駐車場、千歳楼、清風楼、掬水、滝元館遊季の里
養老公園外
養老サービスエリア、きびようかん本家、酒のさいとう など
通常養老町のみの販売ですが特別に数量限定で
通常養老町のみの販売ですが特別に数量
通信販売に踏み切りました。
限定で通信販売に踏み切りました。
飲むたびに懐しい香りが思い出される
サイダーをぜひご自宅でも。
養老サイダー復刻合同会社
岐阜県養老郡養老町養老公園1290-208